○特徴
落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁にはあらい鋸歯がある。大きい木では、葉の形はハート形に近い楕円形だが、若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合がある。葉には直径25-100μmほどのプラント・オパールが不均一に分布する。雌雄異株だが、同株のものがある。春に開花する。雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につく。果実は初夏に熟す。キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなる。熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。果実には子嚢菌門チャワンタケ亜門ビョウタケ目キンカクキン科に属するキツネノヤリタケ(Scleromitrula shiraiana)、キツネノワン(Ciboria shiraiana)が寄生することがあり(クワ菌核病)、感染して落下した果実から子実体が生える。
○利用
日本ではクワ/マグワの根皮はソウハクヒとも呼ばれ成分本質 (原材料) が専ら医薬品に指定されている。葉・花・実(集合果)は「非医」扱い。
・生薬
ログワの根皮は桑白皮という生薬である(日本薬局方による)。利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、五虎湯、清肺湯などの漢方方剤に使われる。また、葉を茶の代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は天ぷらにして食べることもある。桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれていることが近年の研究で明らかになった。DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種、イミノ糖)であり、小腸において糖分解酵素のα-グルコシダーゼに結合する事でその活性を阻害する。その結果、スクロースやマルトースの分解効率が低下し、血糖値の上昇が抑制される。クワを食餌とする蚕のフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も同様の効果がある。
・果実
果実は桑の実、どどめ、マルベリー (Mulberry) と呼ばれ、地方によっては桑酒として果実酒の原料となる。その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有する。旬は4月~5月である。キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒くなる。蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には十分な水洗いを行う必要がある。また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込む事も行われてきた。なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても用いられる。発生学では動物の初期胚に桑実胚、藻類にクワノミモ(パンドリナ)などの例がある。
・養蚕とクワ
桑を栽培する桑畑は地図記号にもなったほど、日本で良く見られる風景であった。養蚕業が最盛期であった昭和初期には、桑畑の面積は全国の畑地面積の4分の1に当たる71万ヘクタールに達したという。しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、生糸産業全般の衰退の中で、株を抜いて畑等に転用されたり、放置された桑畑も多く残る。クワの木は成長が早く、大きく育つが、幹の中が空洞であり、若い枝はカイコの餌にする為に切り続けてきたので製材できる部分が少ない。養蚕業が盛んだった頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑であるが、樹木としての利用は前述の様に、幹の中が空洞で製材できる部分が少ない故に、養蚕以外でのこれといって有益な、あるいは利益の高い利用法が無い。放置された結果として、現在、森の様になっている畑も多い。しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、これを整理することを物理的に更に難しくしている。毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂慮すべきことである。このように養蚕業が衰退する中、利用される桑畑も減少し、平成25年2万5千分の1地形図図式において桑畑の地図記号は廃止となった。新版地形図やWeb地図の地理院地図では、桑畑は同時に廃止された「その他の樹木畑」と同様、畑の地図記号で表現されている。 他方、近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもいる。 ちなみに蚕が食べるのはヤマグワである。
・木材としてのクワ
クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば工芸用に使われる。しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島や三宅島で産出される「島桑」であり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られる。江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられた。国産材の中では最高級材に属する。 また古くから弦楽器の材料として珍重された。正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして愛用されたが、広い会場には向かないとされる。なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり、1861年(文久元年)には幕府からこれを奨励する命令が出されているが、普及しなかったようである。桑の樹皮から繊維(スフ)を得る取り組みは、第二次世界大戦による民需物資の欠乏が顕著となり始める1942年(昭和17年)ごろより戦時体制の一環として行われるようになり、学童疎開中の者も含め全国各地の児童を動員しての桑の皮集めが行われた。最初民需被服のみであった桑の皮製衣服の普及は、最終的に1945年(昭和20年)ごろには日本兵の軍服にまで及んだが、肌触りに難があった事から終戦と共にその利用は廃れた。
・製紙原料
現在の中国新疆ウイグル自治区にあるホータン周辺の地域では、ウイグル人の手工業によって現在も桑の皮を原料とした紙(桑皮紙)の製造が行われている[8]。伝承では、蔡倫よりも古く、2000年以上の製紙歴史があると言われているが、すでに宋の時代(12世紀頃)、和田の桑皮紙は西遼の公文書等で使用されていた。新疆では、清及び民国期の近代に至るまで、紙幣や公文書、契約書等の重要書類に桑皮紙が広く使用されていた。 中国の元王朝では、紙幣である交鈔の素材としてクワの樹皮が用いられた。中国広西チワン族自治区来賓市などでは、養蚕に使うために切り落とすクワの枝を回収して、製紙原料にすることが実用化されている。新たに年産20万トンの工場建設も予定されている。
○害虫
カイコガとその祖先とされるクワコ以外にもクワを食草とするガの幼虫がおり、クワエダシャク、クワノメイガ、アメリカシロヒトリ、セスジヒトリなどが代表的。クワエダシャクの幼虫はクワの枝に擬態し、枝と見間違えて、土瓶を掛けようとすると落ちて割れるため「土瓶割り」という俗称がある。クワシントメタマバエもクワの木によく見られる。カミキリムシには幼虫がクワの生木を食害する種が極めて多く、クワカミキリ、センノカミキリ、トラフカミキリ、キボシカミキリ、ゴマダラカミキリ等が代表的である。これらのカミキリムシは農林業害虫として林業試験場の研究対象となっており、実験用の個体を大量飼育するため、クワの葉や材を原料としソーセージ状に加工された人工飼料も開発されている。なお、オニホソコバネカミキリも幼虫がクワの材を専食するカミキリムシであるが、摂食するのが農林業利用されない巨大な古木の枯死腐朽部であるため害虫とは見なされていない。
○神話・伝承
古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血を桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている。桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射た。起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、日本に伝わって男子の厄除けの神事となった。桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢。養蚕発祥の地、中国においてはクワは聖なる木だった。地理書『山海経』において10個の太陽が昇ってくる扶桑という神木があったが、?(げい)という射手が9個を射抜き昇る太陽の数は1個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。詩書『詩経』においてもクワはたびたび題材となり、クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。小説『三国志演義』においては劉備の生家の東南に大きな桑の木が枝葉を繁らせていたと描かれている。日本においてもクワは霊力があるとみなされ、特に前述の薬効を備えていたことからカイコとともに普及した。古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、鎌倉時代喫茶養生記においては「桑は是れ又仙薬の上首」ともてはやされている。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。